私らしく!何事にも本気で生きたい!

どこかで共感してくれる人がいてくれたら

peace of mind

先日、市川の東山魁夷記念館に行ってきた。

東山魁夷の青の風景。見ていると心の中の余計なものを無くしてくれる。

 

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名前は知らなくても絵を見ればご存じの方も多いと思う。

 

随分前になるが、「白馬のいる風景」の「緑響く」というこの作品をどうしても見たくて、展示期間に急に思い立って長野に行った。

長野オリンピックも観に行ったが、信州と会津は私のお気に入りの地。

何度か新幹線に飛び乗って会津へ旅をしている。最後に飛び乗ったのは、散っていく東京の桜を見たときのこと。今年は満開の桜を見なかったなぁ~と、次の日の朝桜前線を追いかけて会津若松鶴ヶ城に行った。鶴ヶ城は1000本の桜が満開を迎えていた。

予定のない旅なので、飽きるまで桜を見ていた。

私は会津藩新選組、白虎隊の幕末の会津の歴史が好きなので、鶴ヶ城には思い入れがある。

 

さて、その日も長野新幹線に乗り、そのまま長野市信濃美術館の東山魁夷館に向かった。これが「緑響く」我が家でもこの複製画を見ている。

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白馬のいる風景の前で長い時間を過ごしたあと、善光寺へ行った。

善光寺の内陣を参拝。

 

今でも忘れない。あの案内人のおばさんと語った会話。

内々陣の奥にお戒壇巡りという場所がある。階段を降りて真っ暗な回路を巡り「極楽の錠前」に触れてくるのだ。触れられない人もいるらしい。

階段までは明るいのに降りた途端、真っ暗闇、まったく何も見えない。

壁を頼りに伝うようにしないと前へ進めない。手探りで「極楽の錠前」に触れた。そしてまた暗闇を壁伝いに歩く。そんな中を歩いているとなんとも言えない気分になる。

戒壇巡りを終えて階段を上り、案内の方と目が合ったので

「本当に闇なんですね」

「そうでしょう。その中であなたは1人ですたすたと歩けましたか?」

「いいえ、壁に頼らないと歩けませんでした」

「そうですね。きっと人生もそうです。人は何かに頼らないと生きていけないということを気づかせる意味もあったのかもしれないですね」

 

そのあと、お蕎麦屋さんへ入った。善光寺の参道から裏道へ入った記憶がある。昔からあるような佇まいで店内の雰囲気も木のぬくもりで、おいしいお蕎麦をいただいた。その後「珈琲召し上がりますか」と言われて驚いた。お蕎麦屋で珈琲!!

記憶を呼び起こすことができず、二度と行けないお蕎麦屋さん。ほんっと記憶力ない!

 

昨年の善光寺の御開帳にはどうしても行きたかった。

7年に一度だから、次の御開帳は必ず!絶対!何が何でも新幹線に飛び乗る!

あと6年! 

 

I do what I want to do...

雅楽師 東儀秀樹 近代日本絵画では平山か東山かと比較される。 東山派としてはこのYOUTUBEの画像が平山郁夫さんってところが気になりますが、これしかなかった。

 

はじめに

昔、父とよく観た「モーセの十戒」の映画を何かあるごとに思い出す。モーセの十戒とは、旧約聖書に出てくるモーセの律法である。

 

私のブログの記事は、人や人間関係の話が多い。

それは、私の人生の永遠のテーマが「人格者」だからである。

以前にも紹介したが、幼少期に経験した人間関係、見つめ直すことができたロンドン時代、そしてその時に出会ったアルジェリアの友人からの影響が大きい。

 

ロンドンに留学中、同じような年の学校の友人に「Do you believe in God?」「What religion?」よく聞かれた。そのたびに「I'm Buddist.」と答えるのには抵抗があった。なぜなら、彼らが信じる宗教を理解しているように私は仏教を知らないからだ。

They are very religious. 彼らはとても信仰深い。恥ずかしくて言えなかった。

 

そして、私は新約聖書を読んでみた。彼らが信じる宗教ってなんなのか。

あ、全部はムリね笑

「ルカ」「コリントの信徒への手紙」など。とくにお気に入りなのは、 

『コリントの信徒への手紙13章

  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。』

 

語学学校は半年程でやめた。

活きた英語を身に付けられるなら仕事はなんでもよかった。そして老人ホームで働き始めた。

そこはJewishたちの老人ホームであった。ユダヤ人。

正統派は、もみ上げを伸ばし黒い服をきて黒いハットを被る。または小さな黒いキッパを頭にのせる。 ユダヤ教についていろいろ知ることができた。

ここでの生活はとても楽しかった。一気にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがたくさん出来た感じで孫のように可愛がってもらった。

1人とても可愛がってくれたお祖父ちゃんが、私を恋人のように慕ってくれた(笑)

でも歯がなくて、このお祖父ちゃんのブリティッシュイングリッシュを理解するのには手間取ったなぁ!でもいつも英国紳士だった。これで相当英語力が身についたと思う笑

 

ある朝出勤したら、スタッフがバタバタしていた。なんと、 90代のお祖父ちゃんが、90代のおばぁちゃんを夜這いしたと。朝起こしに行ったら二人で裸で寝てたと!

杖で歩いてる二人が。コケージョンだなー!!文化の差かなー。バイタリティかな。

 

でもね、ナチスによる人種差別の話を聞くと、背負ってるものが私の想像を遥かに超えすぎていて、何も言えなかった。日本人の私が、迫害はあったのだと感じることの意味。ドイツと日本。戦争は終わっていないというのはそういうことなのかな。

 

せっかく仲良くなったおばあちゃん、次の日も話したいなと探していると、今朝亡くなったよと言われた。人との出会いを改めて感じた。

 

アルジェリアの友人との出会いは、そんな生活の中で迎えた私の21歳の誕生日。

友人が私をKnightsbridgeの素敵なレストランへ連れて行ってくれた。

そこでマネージャーを務めていたのがアルジェリア系イギリス人。

イギリスでの成人のお祝いは、現在18歳になったが、伝統であった21歳の誕生日も盛大にお祝いする節目なんだそうだ。それを知ってそのマネージャーが誕生日プレートを用意してくれ、スタッフとお客さんで盛り上げてくれた。Close後も私たちは、自分たちのことや国のことを語り明かした。

 

アルジェリアイスラム教徒の国である。その友人を通してアルジェリア人、モロッコ人、チュニジア人みんな親切であたたかくてとても謙虚だった。その頃すでに過激派によるテロが徐々に始まっていた。その度にイスラム教徒を誤解しないでほしいと言っていた。

アルジェリアの友人に会ってから、彼らを理解するためにコーランを読んだ。コーランは正直衝撃的だった。あまりにも具体的に毎日の生活についてふれていて正直理解できなかった。 私がコーランを一度読んだくらいでは、彼らの慈悲深さは語れない、語るべきものではないと思った。

 

日本に戻り、私は仏教について調べた。お釈迦さまの教えとは、

四諦(したい)」「八正道(はっしょうどう)」「四苦八苦」「因果応報」「諸行無常」「自業自得」こういう言葉に込められていると思う。

諸行は無常である。だからこそ一日一日を精一杯生きて進化していきたい。

 

人格者とは、と考えはじめたのはこのころからである。

人格者になりたいなんておこがましくてさすがに言えないけれど、死ぬまでに、少しでもほんの少しでもそんな人に近づいていたらと思う。

特に何を始めるわけでもない。人の道というものを考えて生きるだけ。でもそれはとてもむずかしい。

 I just want to live in peace.

身も心も幸せでいたいね

 

Julia Fordham - Happy Ever After

2度目の転機  自分らしさ

父の影響を大きく受けて育った私は、どうしても海外での生活を体験したかった。父は仕事の関係でドイツにおり、私が3歳のときまで住んでいた。私をドイツで産んでくれていたら、迷わずドイツ国籍を選んでいたのに。

 

どうしても外国に行きたくて内定を取り消し、ロンドン留学を決意した。

最初の1,2週間は、学校の日本人たちと一緒につるんでいたが、なんでここまで来てと思い直し、日本人以外の友人を作って、日本人から離れることにした。

学校があったチェルシー地区のスローンスクエア駅は立地が大変よい。イタリア人、スペイン人、クロアチア人と私がだいたいいつものメンバーで、流行りのレストランでランチしたり、そのまま夕方までハイドパークでピクニックしたりゴロゴロしたり、美術館や観光地へ行ったり。そして、夕方になったらパブに行く。週末には、クラブに行って深夜バスで帰る。どれだけ語っても遊んでも足りなかった。

ある日のパブで、連れの男の子が「さっきからいろんな人に見られてる気がするんだよね」「え?なんでだろ?」

みんなでまわりのお客さんを見て一斉に「あーーー!今日ここのパブあの日だよー!」

ということは逆もあるのかー。もちろんありました。行きました。

私がパブに行こう!っていうときは、だいたいPlay Poolを楽しみたいとき。だからってうまくないけど。

そういえば、あれだけ通ったパブだけど、アルコールが飲めない私は、ギネスの黒ビールって何が美味しいの?なんで黒いの? 結局今も不思議なまま。

一度友人が飲んでいたブラッディマリーを味見させてもらって、倒れそうになった記憶がある。ウォッカというよりトマトジュースとスパイスにやられた。

 

こんな生活の中でいろんな国の人に出会い、いろんな文化や考え方に出会った。そして、見知らぬ土地でいろんな人に助けてもらった。若干二十歳の私にはすべてが衝撃的であった。自分がまだ未熟であったことは当然だが、世界にはこんなに魅力的な人たちがいるんだ。

日本人って全然素敵じゃない、自分が日本人であることに誇りを感じられないと思った。

そして、自分探しの旅が始まる。

自分は自分らしくていい。まず、それを教えてくれた。

着る服も、髪型も、話し方も、振舞い方も、好きな物も、日本にいるときみたいに、他人に合わせることも、周りを気にする必要もない。この時から、モノトーン以外の色を着なくなった。

自分らしさを大事にしていこう。

これが私の第二の転機。

 

ビザを延長しまくり、日本からそろそろ帰って来いと言われた。

今でこそ、日本も国際社会だの、グローバルだの言われるようになり、やっと個性派の私も生きやすくなった。

しかし、当時の日本社会の風潮は、まだ個性に寛容ではなかったから、ちょっと周囲と違うことをすれば、白い目で見られまくり、出る杭は打たれまくり。

 

帰国後社会人1年目は、えばりくさる上司やお局に泣き、上司に言われた通りこなしていればいい受け身ばかりの職場が嫌で、毎日苦痛だった。

受け身の何が楽しいのか。これじゃ私じゃなくてもいい。

自分らしく仕事がしたい!自分の可能性を確かめたい!挑戦したい!

 

そうだ!少しの杭しか出さないから打たれてしまうのだ!なら出過ぎてしまえー!

 

出しまくった!ついに勝手に判断して、仕事の質を高めるためにやった方がいいと思うことをやり始めた。そして、ある日同僚が私の目を見てうなずいて近づいて言った。

「それ俺がやるよ」「いやーやめたほうがいいよ、睨まれるよ」「変えたいんだろ?俺たちの代で変えていこう」それからは、同じ悩みを抱えていた同期たちも徐々に賛同してくれて同期が団結した。

 

それから1年もしないうちに私は他の課に異動になる。自分もみんなも上司も驚いた。異動先の課は、みなさん語学が堪能だけど、私が大の苦手とする女性だけの職場だった。簡単に孤立した。孤立できたというほうがあってるかな。ここでも好き勝手に業務を改善させてもらった。主に外国人対応が多かったので仕事はとても楽しかった。

そして、1年後私はまた他の課に異動になる。なんで?なんで?今度の異動先はいわゆる部の中心の職場だったので、まだ入社して3年目の私がこの課に異動になるのはとても不思議だった。部長に聞いてみた。「私にも分からないんだよ。なんで君が異動なのか。ま、上が決めたことだから頑張りなさい」 上って誰?

異動して数日後、この事業所の一番偉い人が来た。業務を依頼しに来るぐらいで、私のような下っ端ではあいさつくらいしか交わさない。

そんな人が突然私の目の前にやって来て「○○さん、新しい職場はどう?頑張ってる?」と、にこにこしながら聞いてきた。私は、びっくりしてすぐに返事ができなかった。

 

この人か!私を異動させてきた人は!

 

私もうなずきながら、「大変良い経験をしております。ありがとうございます。」

その人もうなずきながら「それはよかった、では頑張って」

それを見ていた先輩方とくにお局が、「あなた、○○さんとお知り合いなの?ご親戚かなにか?」と騒いだ。 だったら何? 発想がくだらないから。

「とんでもないですぅ!さっき、初めてあんな風に話しかけられましたぁ~」って言っといた。

その偉い人は私を見かけると、よく話しかけてくれるようになった。私を異動させてくれた理由も聞いた。とても厳しい人で、よく怒られるようにもなった。それは大変ありがたいことであり、いまでもこの業界でやっていけるのは、この人のお陰であるのは間違いない。  

 

新人で悩んでいたころ、父に言われた。この世の中、おまえが思うように、善か悪か、白か黒かはっきり分けることができたら楽だよ。でも大人の世界にはグレーの部分がたくさんある。それを理解する必要はないけれど、慣れたほうがおまえが楽になると。

 

グレーの部分がないとうまく生きていけないのは、わかる。でも、私はそのような生き方はできない。自分を信じて正しいと思うことを続けていけば、どこかでそれを見てくれている人がいる。そしてそれはいつか自分に返ってくる。そして私は独りじゃない。これからもそうやって生きていく。

That's my life.

 

ロンドンのクラブでよく流れていたマイケルジャクソン

彼の曲はロンドンを思い出させます。今夜はこの曲を共有させてください。

I am here with you  Though we're far apart  You're always in my heart

Michael Jackson - You Are Not Alone Lyrics

 

私はやっぱり人が好き ~講師 2年生~ 

2年生のこの学科の学生は、ほとんどが19歳か20歳。

入学当時のあの18歳のかわいさは、どこへ行ってしまったのか。発言が、態度が、いちいち生意気だ。 負けないけど。

 

このクラスにももちろん悪ガキはいる。でも1年のときに交流が少なかったのでこのクラスに馴染めず、授業以外では関わりがなかった。

 

以前、ここである2人と他の学生たちが楽しそうに会話をしていた。私は仲間に入らず隣でぼーっとしていた。急に話の内容が展開し、険悪なムードになったかという瞬間、私はM君の顔をみた。 本当に一瞬の出来事で、すぐM君の顔は元に戻ったが、M君のあの目にM君の過去を見た。 

 

そういうことね。

 

特にこの2人と授業中以外話すこともほとんどなかったはずなのに…

 

そしてこの日、いつものように休み時間を外で楽しんでいた。他に誰もいなくてほーっとしてたところに、このクラスのT君とM君がやって来た。 私の静かなひとときを…

ほっとけー 話しかけるなよー

 

2人はちょっと離れたところに腰かけた。

そしていきなりT君がM君に

「お前、相談するなら○○先生にしろよ。絶対聞いてくれっから。」

 

「はぁーーーーーーーーーーー?」

 

「いやっ、いいじゃん、俺そんな気がするんだよね。先生のこと信用できるって」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ、あんた私の何知ってるのよ、私たちそんな話したことないし。勝手に決めないでくれるかな」

「あのね、授業中話してて感じんの!ちゃんと話をきいてくれる先生じゃないかなって。だから相談のってよ」

「いやだ!私非常勤だし、今もう時間外だし!」

「いいじゃん!頼むよ!こいつさ、○○の出身で今職場の寮で仕事しながら学校通ってんのよ。高校のときは不良でリーダーやってて。こいつの目ヤバいでしょ。1年のときはすぐ熱くなるし、これでも丸くなったんだよ。これから就職もあるし、でもこいつセンコウ信用しないしさ、唯一○○先生だけだなって思ったわけ」

 

「それはね、いつかあんたの目みて分かってたよ。そんなあんたが働きながら学費払って休まず学校も来てよくやってるなーとも思ってたよ。もぉーなんだよ相談って」

「オレ東京で就職したいんだけどさ、できっかな、今の職場もできれば就職先に変えたい」

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。」

「なんだよそれっ、できねーのかよっ」

「考えてるんだよー。Mにとっていい方法。ちゃんと就職したいんでしょ!」

「うん、じゃ頼む、オレもう仕事があるから」

「とりあえず今度いろいろ話そう、変わってもらわなきゃいけないところもあるし。でも協力はいくらでもするから、Mも私とは素直に話をすること」

「わかった、ありがとう」

 

それから私たちはいろいろ話をして、彼の授業中の態度も変わっていった。

希望の就職先で研修を始めさせて、掛け持ちで辛いのによく頑張ってくれた。

彼の勤務先は東京都中央区。今もまだ続けている。

 

このような学校に通っている学生は、途中で学校に来なくなってしまったり、就職を諦めてフリーターでもいいかと甘えてしまう子も多い。

 

就職指導のときに私は彼らにこのような話をする。

 

『2年前、自分の将来を思い描いてこの学校に来ようと決心した自分を思い出してほしいと。そして、保護者に頼んでこの学校に通いたいとお願いしたこと、もしくは自分で学費を稼ぎながら学校に通うことを決心したこと、払ってきたそのお金は、2年後に成長した自分に会うための投資である。

何をしたいかわからない、この業界じゃないと思う、と諦める子がいるけれど、

ふざけるな、社会人を経験したことのない君たちに、そんなことが分かるわけがない。

30になっても40になっても、これでいいのか、これがやりたいことなのか、大人だって悩みながら毎日を生きている。転職をしたり、学校に通ったり、新たな自分に挑戦したりして、それでもなお自分を探している。

今の君たちがすべきことは、この仕事について悩むことじゃない。2年前決めたことの責任を果たすことだ。まずは、立派な社会人となってこの社会で生きていくことを学びなさい。』

 

19、20歳の彼らにも、まだ無限の可能性がある。

それを信じて生きてほしい。

今までどんな人生を送ってきても、目標を掲げ、達成しようとする強い意志さえあれば、いつでもなりたい自分になることができる。

そして私も自ら実践して、そのような生涯を送っていきたい。

 

 

T君のほうはどうするんだろうって思ってたこの数か月後、Tが思いもかけない相談をしてくるとは、まったく思わなかったよね。それは次回。

 

The sky is the limit!

 

アイルランドのロックバンド

彼女の声とアイルランドなまりが好き

Oh, my life is changing everyday in every possible way
And oh, my dreams, it's never quite as it seems
Never quite as it seems

私の人生はいろいろな可能性の中で毎日変わり続けている

だから私の夢は完全に見えてくることがない

 

The Cranberries - Dreams

私はやっぱり人が好き ~講師 1年生~

3年前まで、ある専門学校で就職指導の非常勤講師をしていた。

私が専門とする職種の学校で2年制と1年制のコースがあり、全学生の指導にあたっていた。

何年も務めたこの学校が好きだったが、残念ながらその学生たちの卒業を最後に閉校が決まっていた。

しかし、私は、その学校から最後に最高の贈り物をもらった。

 

 

1年制コースのあるクラスには、さまざまな年齢の学生が入学してきた。

高校を卒業したばかりの18歳、大学卒業してからの22歳、社会人学生20代から30代、中国人留学生など男女計38名。

18歳の学生たちは、良くも悪くも元気で、遅刻欠席、課題忘れ、再試験も多い。

中でも男子学生N君は、これらすべてにおいてトップであり、いわゆる先生方にとっては問題児であった。

 

人は他人の欠点を探して、そこばかりを見てくる。本当にくだらないことをする。

人には誰でも他人より優れているところが必ずあるのだ。なぜそれを見つけて評価しないのだろう。

 

このN君は、勉強は嫌い、課題もやらない、授業中は睡眠学習。確かに学生としての見た目の評価は悪い。

けれど彼には人の話を素直に聞く、そしてできることをやってみる、わからないことはきちんと聞くというところがある。私の評価はここだった。

 

子供のように思うかもしれないが、これはいくつになっても人間が成長する上でとても大切なことである。この姿勢がなければ、人は成長できない。大人になっていくにつれて理屈で物を考えたり、プライドや経験が邪魔したり、価値観が出来上がってくると素直に受け入れられなかったりする。

 

ところで、学校の敷地内に外で話しができる場所がある。やんちゃ坊主たちもよく集まる。

私は、僅かな休み時間でもリフレッシュのため外に出るので、結構な頻度で利用している。職員室が嫌いなのもある。

 

ある日私はこのN君と二人で話す機会があった。彼の過去の話、私生活、将来のことを話した。

予想した通り中学生からやんちゃなことをはじめていた。でもそれには理由があった。

母親の精神障害により、彼は神奈川から島根の全寮制の高校に通わされていた。

家庭内の事情、何をやっても母親から責められたことや自分の中高校時代の話を明るく話すこの彼の強さはどこから来ているのか考えた。

「Nは、お母さんがとても大好きなんだね。」

「・・・」

「それは恥ずかしいことじゃないよ むしろとても優しくてかっこいいやつだと思う」

「うん 大好きだよ!」

「なんだよー いいやつじゃーん!そうやって言えるって素敵なことよ!」

「でも、大好きなのに、どうしたらいいかわかんないんだよね。鼻唄を歌うだけでうるさいとか言われてさ 話もできないし」

「そうだね ずっと甘えたかったよねー」

「よくわかんないけどねー」

「まだ18だけどさ、来年は就職でしょう、社会人になっていくわけじゃん。

 だからさー、今度はNが大人になって、お母さんを守ってあげる番なんだよー」

「どうやってさー」

「お母さんをさ そのままのお母さんを受け止めてあげるんだよー 最初は難しいかもしれないけど、あなたならできるよー 包んであげるの そしたらいつかお母さんにNの気持ちが伝わるよ」

「わかんねー」

「Nの気持ちは私が受け止めた!だからあなたはお母さんをたのんだよー」

そのまま二人で空見てたっけ。

 

それから、人の意見を素直に聴く、認める、受け入れることは、自分をしっかり持つ強さと認める勇気があれば、自己を分析し、成長に繋げていくことができる、だからその素直さは一生変わらず持ち続けるよう伝えた。

 

その後、彼は超有名企業でのインターンシップでも上司に認められて、学生にも関わらずいろいろ難しい仕事も任されるようになった。そして、就職も決まった。

 

私と彼とあともう二人の男子学生が加わり、4人で放課後いろいろ話すようになった。

 

その1人 A君は、ある2つの学校で迷っていて、結果この学校を選んだらしい。そのもう1つの学校でも非常勤講師をしている私は、どちらにしても彼に会う運命だった。

A君は言葉にできないほどの素晴らしい笑顔をする。敵を作らないとても優しい心の持ち主だった。そのため、自己を主張する強さがないので、就職の面接がとても困難だった。私は小さいけれど彼に合ったホテルを探して、就職試験をうけるように勧めた。そして内定をもらった。

就職してから、彼の職場を一度訪れたことがある。

上司がわざわざ私に挨拶に来てくれた。

「こんな素晴らしい人材を紹介してくださってありがとうございます。彼は本当に頑張って仕事をしてくれてお客様にかわいがられています」と。

 

卒業式の日、この3人が私のところに来て言った。

「先生の恩ははかり知れない。今はまだ何も返せないけど、俺ら頑張るから。おばあちゃんになったら、俺たちに任せて!面倒みるから!」

「おばあちゃんまで待たせるなよー!足腰立つうちに海外に連れてけー!」

「まかせろー」

 

彼らは私の誇りである。私は一生彼らの味方でいたい。

 

卒業してから、母の日が近づいてくると、私は必ずN君に

「母の日だぞ!忘れるなよー」と毎年知らせている。

「今年はどうしよー!」「去年なんだっけー?」という会話を楽しんでいる。

 

卒業して数か月後、4人の集合がかかった。

昼から集まって優雅なランチをして、バカ話をして、夜まで騒ぐ。

いつしか定例会となり、3年経った今でも2,3か月に一度この定例会が開かれている。

You made me realize what I want to do in the future.

I'm so proud of you...

 

私がやりたいこと ヤンクミになる(笑)

 

Eric Clapton - Tears In Heaven (subtitulado)(Official Video)

 

祈りを込めて 灯篭流し

 

 

5日前 父の末期がんの宣告をされた

余命あと半年

 

母も私も誰も受け入れられなかった

あれから泣かない日はない

ただ 今は 心が折れないよう支え合いながら大事な時間を過ごしている

昨日は、私一人で父を訪ねた 

ベッドに腰掛けながら、最初は病気の症状のこと、母のことを話していたが、父も私も自分の考えていることをペラペラと話す人ではない

だんだんと口数が減ってきた 泣いた

父の手が私の背中をさすってくれた

私がこの日に伝えられた言葉は

「まだ聞いてもらいたいこといっぱいあるから」だけだった

それで父は私の言いたいことすべてを感じとってくれたと思う

私の肩をだいてくれた手がそう言っていた

 

 

8月13日 隅田川の灯篭流し

家族みんなで思いを灯篭に書いた

私たちの祈りよ お願い とどいて

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Dad, thanks for always understanding me. No mutter how naughty I was.  I would like to be your daughter if I were to be reborn.

I love you.

 

Ave Mariaもいろいろありますが、Slava(ロシア人の男性オペラ歌手)が歌うカッチーニAve Mariaはまさに祈りです

 

カッチーニの アヴェ マリア

 

 

題名...カブトムシかな?

 

 今年も立派なカブトムシに育った。

 

しかし、私は虫が大嫌いである。

とくににょろにょろしてるミミズ系は見るのもダメっ!

  

ゴキちゃんなんて出た日には、ヤツをどうにかするまでは絶対に眠ることができない。

 

特に夏がやってくる頃には常に戦闘態勢に入る。

  

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」(孫子

 

そのとおり行動についてはいろいろと調べた。

 

実は自分が飛べるのを知らない、ジャンプをして羽を広げるのでかなりの距離を移動するが実は飛んでいるのではない、人間に向かって飛んでくるように思うのは、人間の瞳に反射している光をめがけてジャンプをしている、冬は温度が低くて羽を広げられないらしいなどなど。 ほんとキライ!

  

そんな私ではあるが、我が家ではかれこれもう5年以上、カブトムシを育てている笑

友人が田舎からたくさん見つけて持ってきた!と雄と雌をセットで持ってきた。

 

カブトムシをこんな間近で見るのは生まれて初だと思ったら、なぜか興味がわいてきたので面倒をみることにした。

 

その時は考えていなかったことだが、やがて8月が終わるころ雌が死に、雄も死んでしまい、虫かごの土を処分しようとしたら、米粒くらいの白いものが。

よく見ると1cmくらいの白いものもニョロニョロと動いている!!!!!

  

おいおいおいおいー! まさか? うそでしょー?

しかも、形カブトムシしてないっ! しかも、大量! しかも、にょろにょろ!

 

 捨てられないじゃん!

 

子育てについて調べたら翌年の初夏まで白い物体だって(・_・;) まじかー!

 

そんなの知らないし。

  

 ま、こうなったらしっかりと育てようと、1年間せっせと土を買った。

合計7匹くらいだったかな、大きい幼虫に育ってくれた。きれいな蛹室が作れるように蛹になる前に1.5リットルのペットボトルに土を入れて1匹ずつ移し替える。

三ツ矢サイダーとかコーラとかペプシじゃないとダメなんだって。ボトルが四角じゃなくて丸いほうが蛹室を作るのに適しているらしい。  

炭酸って喉が痛いから苦手なのに、丸いボトルって炭酸ばっかり。なぜ?

 

東京の人は、私のようにカブトムシの幼虫や蛹を見る機会がない。

GW明けたころ蛹室を作り始める。 ペットボトルの蛹を観察できるようにして保育園にあげてそのまま飼育してもらっている。子供とパパたちには人気者。

 

今では、なんと、幼虫もなんなく触れるようになり、雄と雌の区別もつくようになってきた笑

  

うちでは、雄の幼虫が、立派なカブトムシになった。元気でしょ?

そして、今日いよいよお嫁さんがくる。 

 

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最後に。 

 

学生時代、論語の授業がありました。学べてよかったと思いました。

今でも本棚から取り出して読むことがあります。

孫子の漢文つながりで心に残っている「孔子の言葉」をいくつか。

 

論語「為政第二」より

 「子曰く、先づその言を行う、而して(しこうして)後これに従う」

 まず、言葉を口にするまえにそれを実行する、その後で自分の主張を語りなさい

「これを知るをこれを知ると為し 知らざるを知らずと為す 是れ知るなり」

  自分が知っていることを知っていることとし、知らないことを知らないと認めなさい

 これが本当の知るということである

 

今回の曲は、落ちてるときや静かに時が経ってほしいときに流しています。

この哀愁を帯びた胡弓の音色が好きで、いつか挑戦したいと思っている楽器です。

この曲で使われている楽器は、日本の胡弓ではなく、中国の二胡です。似ていますが私は二胡の音色のほうが少し優しい気がします。

二胡の音色が分かるように2つ紹介します。

 

「君子 學道則愛人」 

JIN -仁- Main Title_高見優

 

JIN 仁 MainTitle WeiWei Wuu ウェイウェイ・ウー 二胡