私らしく!何事にも本気で生きたい!

どこかで共感してくれる人がいてくれたら

大学のお勉強

10月秋に入学した大学通信学部の心理学部

 

早くも科目修了試験資格の課題提出締め切りが来て、ぎりぎりで課題4つ提出した。

先週も2つ課題を終わらせた。

11月上旬までに、年末の冬休みに始まるスクーリング受講資格の課題をあと2つ提出しなければならない。

 

それが終わると、今度は先日提出した科目修了試験が始まる。

 

そしてそのあと、スクーリングと試験。

年始にはまた2月から始まるスクーリング受講資格の課題提出が。

いくつあるんだろう...今はまだ数えたくないくらいあった。

 

全国で大学の通信学部の卒業率は、平均15~20%なんだそうだ。もちろん大学や学部によっては、50%のところもある。留年はもとから計画に入れている人も多いらしい。

 

これでは卒業率が低いわけだ。これで最初は教員免許まで取る気でいたから恐ろしい。

そんなことしてたら、2年間ほとんど寝れないところだった。

社会人やって、家事やって、このスケジュールをこなすのは。

週末に運動会あったり、小学校の行事があったりしながら。

なるほど…。

ムリだよ…。

時間が足りないよ...。

なっとく.....

 

 

したくなーいっ!

 

えっ!ちょっと待って!

この2月3月のスクーリングの時間割!

子どもたちと企画している「2泊3日夢のユニバーサルスタジオジャパン計画」と日程がかぶってるーーーー!

 

がーーーーーーーん

 

はぁ へこむー

スクーリングの日程って、だいたい1科目につき9時~5時を3日間連続で、最終日に終了科目試験。2月から、3日×2回、日曜休んでこれを連続で3週間くらい笑

社会人にとっては、休みとらないといけないから、続けるのはやはり困難。

 

はぁ~気になったので、長男に言ってみた。

そしたら、

「じゃあ、USJの日にちを変えよう。よっちゃん、大学の授業受けないと卒業できないんでしょ? それヤバくない? USJは、いつでも行けるから」

 

きみ…いくつ??

 

若干11歳に励まされたよ笑笑笑

ちなみに、呼ばせているわけではなく、子どもからもよっちゃんと呼ばれてます。

 

よし!!

始まったんじゃなくて、始めたんだ!やりきる!

子どもも受験なので、一緒にお勉強頑張る!

私は眠くなるまで!

がんばるぞー!おー!

 

そうだ!Mission Impossibleだー!

ライブもサイコーだった!本人に触れたんだっ! 

Limp bizkit「take a look around」 ちょっと騒がしいよ

Music theme from Mission impossible 2

 

 

 

占い

東京には、その土地の名を付けて〇〇の母と呼ばれる占い師たちがいる。

どこかの母は一時期大変な人気で行列が出来ていたが、私は占いにはまったく興味がなかった。

しかし、私の古くからの友人に、そのうちのある占い師の弟子入りをしている人がいる。

その占い師さんは当たると有名でなかなか予約が取れず有名人も占っていて、芸人にお弟子さんもいるとか。

そんな人の元でお勉強をしれいる友人が私を勝手に占ってくれる。

 

占いから分かる私の性格

(基本的に悪いことは言わないのでそのつもりでお読みください)

上下関係を作るのが苦手で、誰にでも平等に接したがる

相手を理解することに長けている

あなたの言葉で励まされる人が多い

嘘やまがったことが苦手

 

うんうん( *´艸`) もう一度言いますが、割と良い面を言ってくれます。

 

問題はここから。

 

団体行動が苦手

社交的であるが、警戒心が強い

人の心はOPENにしたがるが、自分は滅多に心を開かない

今はそのようなことはないが、昔は自分の居場所がなく孤独感があった

 

後半部分を聞いて、一瞬何も言えなくなった。

確かに長い付き合いになる友人ではあるが、そういう面をみせたことも過去を話したこともない人である。

これは、間違いなく私。驚いた。

 

私は団体行動がきらい、女子のグループが苦手。

新しいクラス、新しい職場は毎回人見知りをする。

話しかけてくれる人がいなければずっと独り。くら~い笑笑笑

学生時代までは友達を作らなきゃという思いから、焦りもしたが、今は気持ちよく仕事ができるくらいの距離感がちょうどよい。

 

一番困ったのは、子どもの公園デビュー

 

日中の公園に遊びに行くと、同じような年の子どもがうじゃうじゃ。

知らないお母さんもうじゃうじゃ。理解ある人の好いお母さんばかりではない。

子ども同士のちょっとしたことで面倒なお母さんに巻き込まれるのにうんざりして、夕方の公園を好んで行くようにした。ほぼ貸し切り笑

 

でも、日常は愛され愛すべき友人たちに囲まれてる。それでよいのだ。

 

そんな私の学生時代のアルバイト先は、東京ディズニーランド笑笑笑

 

 

しかもアトラクションのキャスト(スタッフ)

私生活とギャップありすぎなの!高校生のときからやりたかったんだ!

今思えばカストーディアルキャスト(お掃除のスタッフ)やって、「何を拾ってるんですかー?」の質問に「星のかけらを集めてます」ってセリフを言ってみたかった!!

これ、ホントに言ってくれるんですよ!聞いてみてね!

 

バイトのお陰でランド内のお手洗いやショップ、レストランの場所を把握しているので便利。

が、ディズニーシーはなぜか行ったことがない。

シーの乗り物の身長制限は高いので、子どもが引っかからなくなったら一緒に行こうと思ったいたが、身長が伸びたら子供同士で行ける年齢になってた。ランドは子供だけで行っているから、もう一緒にいかなくていいっか。

こうなったら、①一生行ってやんない、②特別な誰かと行っちゃう!と決めている。

意味のない意地。

 

 

話を戻します!

私の仕事は、ファンタジーランドの某アトラクションのお姉さん。

乗り物に乗る前に「何名さまですか~?」と聞いたり、乗り物に乗っていくゲストに「いってらっしゃ~~い!」と手を振ったり。

チャリ通だったので、OPEN前やCLOSE後までの時間が多かった。乗り物点検って結構怖いのよね。でも最高に楽しかった!!

 

なぜ、私生活で人見知りの私が、仕事では大勢の前で大声を出したり、歌を歌ったりできるのか。

それは、対お客様では友達になる必要も、何かを共有する必要も、心を開く必要もないからである。

自分のペースで、演じることを楽しめばよいのだ。

 

遊園地に行ったら、乗り物のお姉さんやお兄さんに「行ってきまーす」と絶対に手を振る。みんなそうやって仕事を楽しんでいる。お客さんが反応してくれると嬉しいの。

ぜひ、皆さんもスタッフとの会話を楽しんでほしい!

 

 

今子どもと来年春ユニバーサルスタジオジャパン旅行の計画を立てている。

そういう面もとても楽しみなのだ!

早く行きたい!!!

 

占いによると、私にむいている職業に、サービス業と教師・講師・先生があるのだ。

占いスゴーーーイ笑笑

 

It's difficult for me to trust people, but sometimes it's good to believe in something.

 

Bruno Mars サイコー!この歌大好き!

Just the way you are!そう!みんなそう!そのままの君で!

 Just the Way You Are(歌詞&和訳)/Bruno Mars

運動会のご報告

 

時間が経ち、やっと運動会のご報告ができます。

生涯家族みんなが忘れられない運動会となりました。

 

前日、9月23日金曜日、仕事場に病院から父の様態が急変したので病院にいたほうがよいという連絡が来た。ここから48時間が山場だと言われた。父は胆管ガンで8月に突然余命2か月の告知をされ入院していた。

その日は夜まで病院で付き添っていた。山場と言われていたが、どうしても子供の運動会を見てあげたいと思っていたので、母に病室に泊まってもらい引き上げた。

 

当日、9月24日土曜日、あいにくの雨のため、運動会は翌日25日に延期と登校前に連絡がきた。

まもなく、父の意識が弱くなってきたのですぐ病院に来るように言われ、家族全員で向かった。

そして、その日の夜、家族が看取る中で、父は息を引き取った。

 

翌朝、雲の合間から青い空がのぞいていた。

昨晩からほとんど寝ずに迎えた朝だったが、運動会のためにまたお弁当を作った。

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最高の運動会だった。初めての運動会だった1年生の次男は、すべてにとても一生懸命だった。

 

友達の赤組応援団長は、私たちのこの数日の状況を知り、一緒に涙を流してくれ、応援の掛け声とともに息子にエールを送ってくれた。

 

大声で白組応援団長を務めた息子の立派な姿が、とても輝いて頼もしく見えた。

 

6年生の長男にとって最後の運動会は、とても思い出深いものになったと思う。

大人になったら、小学生時代の思い出を懐かしく楽しそうに友人と語ってくれるかな。

 

いつもなら運動会の夜は、父も母も一緒にみんなで夕飯を食べに出かける。

この日は、みんなで実家に帰る準備をして、亡くなったばかりの父に会いに行きみんなで録画したビデオを流しながら報告をした。

 

今でも思う。

父は、雨で運動会が中止になったから、みんなが一緒にいれたあの日を選んだ。

 

 

娘はあなたを超えることはできないけれど、あなたが教えてくれたことはしっかり子供に伝えていきます。

 

ありがとう。

 

父が教えてくれた洋楽の中から サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」をあえて選びました。

Simon & Garfunkel - Bridge over troubled water (with lyrics)

 

雨と運動会

雨が好きです。

雨が降る音も好きです。

雨が降っているのを見ているのも好きです。

仕事のための身だしなみとかを気にしなくていいのなら、多少の雨なら濡れるほうがすきです。

夜たまに走りに行きます。今夜も東京下町は少し雨が降りました。気持ちよかった。

 

でも、今週の土曜日は、息子の小学生最後の運動会があります。

息子の身長は145cm 細め、多分6年で2番目に細い、声も高めですが、声は大きい。

3年間応援団で、6年最後、白組団長を務めます。

 

赤組団長は、息子の親友です。

彼はリレーの選手にも選ばれたのに、息子と団長で対決することを選びました。

身長は私と同じ156cm、水泳オリンピック選手育成コースにお呼ばれするほどの体格、声も声変りして男らしい。

 

6年は、この対決を楽しみにしています。もちろん私たち親も。泣くでしょ。

ちなみに次男も白組。同じでよかった。ここ重要。

二人で応援歌とか練習してる笑 団長の言うこと絶対。楽しい風景笑

 

区内の小学校では、昔のように運動会は家族や友達そろってみんなで校庭で昼食を取れる学校が少なくなってきました。

子供は多いのに校庭が狭いからです。狭いところは座ってみることもできません。

なので、子供達には給食がでます。親は一度帰ります。

学校によっては、1年生は午前中までのところもあります。

東京もさみしくなりました。

 

小学生時代いろいろあった話も書きましたが、そんな私も、両親が来てくれた運動会はお弁当を一緒に笑って食べた記憶があります。

 

幸い、息子の学校は、新しいので校庭がとても広く、芝生で友人家族たちとピクニックな感じで昼食をとります。

それも運動会の楽しみの一つですが、延期になるとそれができなくなります。

 

24日(土)は全国の天気予報で、東京付近だけが曇り時々雨...

 

あの秋雨前線、なんとかもっと下に移動させられないかな~と本気で家族会議の毎日。

あと3日 

 

晴れろーーーーーっ!Be a Fine Day!

 

イギリスのロックバンド Coldplay「A Sky Full of Stars」

ちょっと元気なのを選んだけど、「Yellow」の方が彼ららしい。

[Lyrics+Vietsub] A Sky Full Of Stars - Coldplay (Official Video)

 

 

peace of mind

先日、市川の東山魁夷記念館に行ってきた。

東山魁夷の青の風景。見ていると心の中の余計なものを無くしてくれる。

 

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名前は知らなくても絵を見ればご存じの方も多いと思う。

 

随分前になるが、「白馬のいる風景」の「緑響く」というこの作品をどうしても見たくて、展示期間に急に思い立って長野に行った。

長野オリンピックも観に行ったが、信州と会津は私のお気に入りの地。

何度か新幹線に飛び乗って会津へ旅をしている。最後に飛び乗ったのは、散っていく東京の桜を見たときのこと。今年は満開の桜を見なかったなぁ~と、次の日の朝桜前線を追いかけて会津若松鶴ヶ城に行った。鶴ヶ城は1000本の桜が満開を迎えていた。

予定のない旅なので、飽きるまで桜を見ていた。

私は会津藩新選組、白虎隊の幕末の会津の歴史が好きなので、鶴ヶ城には思い入れがある。

 

さて、その日も長野新幹線に乗り、そのまま長野市信濃美術館の東山魁夷館に向かった。これが「緑響く」我が家でもこの複製画を見ている。

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白馬のいる風景の前で長い時間を過ごしたあと、善光寺へ行った。

善光寺の内陣を参拝。

 

今でも忘れない。あの案内人のおばさんと語った会話。

内々陣の奥にお戒壇巡りという場所がある。階段を降りて真っ暗な回路を巡り「極楽の錠前」に触れてくるのだ。触れられない人もいるらしい。

階段までは明るいのに降りた途端、真っ暗闇、まったく何も見えない。

壁を頼りに伝うようにしないと前へ進めない。手探りで「極楽の錠前」に触れた。そしてまた暗闇を壁伝いに歩く。そんな中を歩いているとなんとも言えない気分になる。

戒壇巡りを終えて階段を上り、案内の方と目が合ったので

「本当に闇なんですね」

「そうでしょう。その中であなたは1人ですたすたと歩けましたか?」

「いいえ、壁に頼らないと歩けませんでした」

「そうですね。きっと人生もそうです。人は何かに頼らないと生きていけないということを気づかせる意味もあったのかもしれないですね」

 

そのあと、お蕎麦屋さんへ入った。善光寺の参道から裏道へ入った記憶がある。昔からあるような佇まいで店内の雰囲気も木のぬくもりで、おいしいお蕎麦をいただいた。その後「珈琲召し上がりますか」と言われて驚いた。お蕎麦屋で珈琲!!

記憶を呼び起こすことができず、二度と行けないお蕎麦屋さん。ほんっと記憶力ない!

 

昨年の善光寺の御開帳にはどうしても行きたかった。

7年に一度だから、次の御開帳は必ず!絶対!何が何でも新幹線に飛び乗る!

あと6年! 

 

I do what I want to do...

雅楽師 東儀秀樹 近代日本絵画では平山か東山かと比較される。 東山派としてはこのYOUTUBEの画像が平山郁夫さんってところが気になりますが、これしかなかった。

 

はじめに

昔、父とよく観た「モーセの十戒」の映画を何かあるごとに思い出す。モーセの十戒とは、旧約聖書に出てくるモーセの律法である。

 

私のブログの記事は、人や人間関係の話が多い。

それは、私の人生の永遠のテーマが「人格者」だからである。

以前にも紹介したが、幼少期に経験した人間関係、見つめ直すことができたロンドン時代、そしてその時に出会ったアルジェリアの友人からの影響が大きい。

 

ロンドンに留学中、同じような年の学校の友人に「Do you believe in God?」「What religion?」よく聞かれた。そのたびに「I'm Buddist.」と答えるのには抵抗があった。なぜなら、彼らが信じる宗教を理解しているように私は仏教を知らないからだ。

They are very religious. 彼らはとても信仰深い。恥ずかしくて言えなかった。

 

そして、私は新約聖書を読んでみた。彼らが信じる宗教ってなんなのか。

あ、全部はムリね笑

「ルカ」「コリントの信徒への手紙」など。とくにお気に入りなのは、 

『コリントの信徒への手紙13章

  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。』

 

語学学校は半年程でやめた。

活きた英語を身に付けられるなら仕事はなんでもよかった。そして老人ホームで働き始めた。

そこはJewishたちの老人ホームであった。ユダヤ人。

正統派は、もみ上げを伸ばし黒い服をきて黒いハットを被る。または小さな黒いキッパを頭にのせる。 ユダヤ教についていろいろ知ることができた。

ここでの生活はとても楽しかった。一気にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがたくさん出来た感じで孫のように可愛がってもらった。

1人とても可愛がってくれたお祖父ちゃんが、私を恋人のように慕ってくれた(笑)

でも歯がなくて、このお祖父ちゃんのブリティッシュイングリッシュを理解するのには手間取ったなぁ!でもいつも英国紳士だった。これで相当英語力が身についたと思う笑

 

ある朝出勤したら、スタッフがバタバタしていた。なんと、 90代のお祖父ちゃんが、90代のおばぁちゃんを夜這いしたと。朝起こしに行ったら二人で裸で寝てたと!

杖で歩いてる二人が。コケージョンだなー!!文化の差かなー。バイタリティかな。

 

でもね、ナチスによる人種差別の話を聞くと、背負ってるものが私の想像を遥かに超えすぎていて、何も言えなかった。日本人の私が、迫害はあったのだと感じることの意味。ドイツと日本。戦争は終わっていないというのはそういうことなのかな。

 

せっかく仲良くなったおばあちゃん、次の日も話したいなと探していると、今朝亡くなったよと言われた。人との出会いを改めて感じた。

 

アルジェリアの友人との出会いは、そんな生活の中で迎えた私の21歳の誕生日。

友人が私をKnightsbridgeの素敵なレストランへ連れて行ってくれた。

そこでマネージャーを務めていたのがアルジェリア系イギリス人。

イギリスでの成人のお祝いは、現在18歳になったが、伝統であった21歳の誕生日も盛大にお祝いする節目なんだそうだ。それを知ってそのマネージャーが誕生日プレートを用意してくれ、スタッフとお客さんで盛り上げてくれた。Close後も私たちは、自分たちのことや国のことを語り明かした。

 

アルジェリアイスラム教徒の国である。その友人を通してアルジェリア人、モロッコ人、チュニジア人みんな親切であたたかくてとても謙虚だった。その頃すでに過激派によるテロが徐々に始まっていた。その度にイスラム教徒を誤解しないでほしいと言っていた。

アルジェリアの友人に会ってから、彼らを理解するためにコーランを読んだ。コーランは正直衝撃的だった。あまりにも具体的に毎日の生活についてふれていて正直理解できなかった。 私がコーランを一度読んだくらいでは、彼らの慈悲深さは語れない、語るべきものではないと思った。

 

日本に戻り、私は仏教について調べた。お釈迦さまの教えとは、

四諦(したい)」「八正道(はっしょうどう)」「四苦八苦」「因果応報」「諸行無常」「自業自得」こういう言葉に込められていると思う。

諸行は無常である。だからこそ一日一日を精一杯生きて進化していきたい。

 

人格者とは、と考えはじめたのはこのころからである。

人格者になりたいなんておこがましくてさすがに言えないけれど、死ぬまでに、少しでもほんの少しでもそんな人に近づいていたらと思う。

特に何を始めるわけでもない。人の道というものを考えて生きるだけ。でもそれはとてもむずかしい。

 I just want to live in peace.

身も心も幸せでいたいね

 

Julia Fordham - Happy Ever After

2度目の転機  自分らしさ

父の影響を大きく受けて育った私は、どうしても海外での生活を体験したかった。父は仕事の関係でドイツにおり、私が3歳のときまで住んでいた。私をドイツで産んでくれていたら、迷わずドイツ国籍を選んでいたのに。

 

どうしても外国に行きたくて内定を取り消し、ロンドン留学を決意した。

最初の1,2週間は、学校の日本人たちと一緒につるんでいたが、なんでここまで来てと思い直し、日本人以外の友人を作って、日本人から離れることにした。

学校があったチェルシー地区のスローンスクエア駅は立地が大変よい。イタリア人、スペイン人、クロアチア人と私がだいたいいつものメンバーで、流行りのレストランでランチしたり、そのまま夕方までハイドパークでピクニックしたりゴロゴロしたり、美術館や観光地へ行ったり。そして、夕方になったらパブに行く。週末には、クラブに行って深夜バスで帰る。どれだけ語っても遊んでも足りなかった。

ある日のパブで、連れの男の子が「さっきからいろんな人に見られてる気がするんだよね」「え?なんでだろ?」

みんなでまわりのお客さんを見て一斉に「あーーー!今日ここのパブあの日だよー!」

ということは逆もあるのかー。もちろんありました。行きました。

私がパブに行こう!っていうときは、だいたいPlay Poolを楽しみたいとき。だからってうまくないけど。

そういえば、あれだけ通ったパブだけど、アルコールが飲めない私は、ギネスの黒ビールって何が美味しいの?なんで黒いの? 結局今も不思議なまま。

一度友人が飲んでいたブラッディマリーを味見させてもらって、倒れそうになった記憶がある。ウォッカというよりトマトジュースとスパイスにやられた。

 

こんな生活の中でいろんな国の人に出会い、いろんな文化や考え方に出会った。そして、見知らぬ土地でいろんな人に助けてもらった。若干二十歳の私にはすべてが衝撃的であった。自分がまだ未熟であったことは当然だが、世界にはこんなに魅力的な人たちがいるんだ。

日本人って全然素敵じゃない、自分が日本人であることに誇りを感じられないと思った。

そして、自分探しの旅が始まる。

自分は自分らしくていい。まず、それを教えてくれた。

着る服も、髪型も、話し方も、振舞い方も、好きな物も、日本にいるときみたいに、他人に合わせることも、周りを気にする必要もない。この時から、モノトーン以外の色を着なくなった。

自分らしさを大事にしていこう。

これが私の第二の転機。

 

ビザを延長しまくり、日本からそろそろ帰って来いと言われた。

今でこそ、日本も国際社会だの、グローバルだの言われるようになり、やっと個性派の私も生きやすくなった。

しかし、当時の日本社会の風潮は、まだ個性に寛容ではなかったから、ちょっと周囲と違うことをすれば、白い目で見られまくり、出る杭は打たれまくり。

 

帰国後社会人1年目は、えばりくさる上司やお局に泣き、上司に言われた通りこなしていればいい受け身ばかりの職場が嫌で、毎日苦痛だった。

受け身の何が楽しいのか。これじゃ私じゃなくてもいい。

自分らしく仕事がしたい!自分の可能性を確かめたい!挑戦したい!

 

そうだ!少しの杭しか出さないから打たれてしまうのだ!なら出過ぎてしまえー!

 

出しまくった!ついに勝手に判断して、仕事の質を高めるためにやった方がいいと思うことをやり始めた。そして、ある日同僚が私の目を見てうなずいて近づいて言った。

「それ俺がやるよ」「いやーやめたほうがいいよ、睨まれるよ」「変えたいんだろ?俺たちの代で変えていこう」それからは、同じ悩みを抱えていた同期たちも徐々に賛同してくれて同期が団結した。

 

それから1年もしないうちに私は他の課に異動になる。自分もみんなも上司も驚いた。異動先の課は、みなさん語学が堪能だけど、私が大の苦手とする女性だけの職場だった。簡単に孤立した。孤立できたというほうがあってるかな。ここでも好き勝手に業務を改善させてもらった。主に外国人対応が多かったので仕事はとても楽しかった。

そして、1年後私はまた他の課に異動になる。なんで?なんで?今度の異動先はいわゆる部の中心の職場だったので、まだ入社して3年目の私がこの課に異動になるのはとても不思議だった。部長に聞いてみた。「私にも分からないんだよ。なんで君が異動なのか。ま、上が決めたことだから頑張りなさい」 上って誰?

異動して数日後、この事業所の一番偉い人が来た。業務を依頼しに来るぐらいで、私のような下っ端ではあいさつくらいしか交わさない。

そんな人が突然私の目の前にやって来て「○○さん、新しい職場はどう?頑張ってる?」と、にこにこしながら聞いてきた。私は、びっくりしてすぐに返事ができなかった。

 

この人か!私を異動させてきた人は!

 

私もうなずきながら、「大変良い経験をしております。ありがとうございます。」

その人もうなずきながら「それはよかった、では頑張って」

それを見ていた先輩方とくにお局が、「あなた、○○さんとお知り合いなの?ご親戚かなにか?」と騒いだ。 だったら何? 発想がくだらないから。

「とんでもないですぅ!さっき、初めてあんな風に話しかけられましたぁ~」って言っといた。

その偉い人は私を見かけると、よく話しかけてくれるようになった。私を異動させてくれた理由も聞いた。とても厳しい人で、よく怒られるようにもなった。それは大変ありがたいことであり、いまでもこの業界でやっていけるのは、この人のお陰であるのは間違いない。  

 

新人で悩んでいたころ、父に言われた。この世の中、おまえが思うように、善か悪か、白か黒かはっきり分けることができたら楽だよ。でも大人の世界にはグレーの部分がたくさんある。それを理解する必要はないけれど、慣れたほうがおまえが楽になると。

 

グレーの部分がないとうまく生きていけないのは、わかる。でも、私はそのような生き方はできない。自分を信じて正しいと思うことを続けていけば、どこかでそれを見てくれている人がいる。そしてそれはいつか自分に返ってくる。そして私は独りじゃない。これからもそうやって生きていく。

That's my life.

 

ロンドンのクラブでよく流れていたマイケルジャクソン

彼の曲はロンドンを思い出させます。今夜はこの曲を共有させてください。

I am here with you  Though we're far apart  You're always in my heart

Michael Jackson - You Are Not Alone Lyrics