私はやっぱり人が好き ~過去~
ここ数年ずっと考えて続けてきたことがある。
それは、私はこれから先何をして生きていきたいかということ。
私はそれなりにしつけに厳しい両親に育てられた。
幼稚園も小学校も自宅より離れた評判のよいところへ通わされた。
特に小学校はバスを乗り継いで30分もかかる場所だった。
もちろん近所に友達などいるわけもなく、帰ってきてすぐランドセルを置いて友達と遊びに行ったなんて記憶はない。
学校が終わったらまっすぐバスを乗り継いで帰るだけ。
なぜあのような小学生時代を送ることになったのか、どうしてこのような人格になったのか、大人になってよく考えるようになった。
幼少期の環境は、人格を形成するのに大変な影響を与えると言われている。
子どもは子ども同士の遊びの中で、人と関わり合いながら社会性のスキルを学ぶ。
それは、良い教育を受けることよりも、成績を上げることよりも、子どもにとって一番受けるべき授業である。
子どもには子どもの社会があり、彼らはそこで大人になるためのいろいろな要素を体験から学ぶのである。
それが大いに欠けていた私は、自分で感じ、考え、自分にとってどうすことがよいのか判断できるように、今いろいろな経験をさせて、見守るようにしている。
うらやましいぐらいに自分の意見をもって頼もしく成長してくれている。
そんな姿を見て、私がこのような経験をしていたら、あのときあの子にこんなことが言えたのだろうかなどと余計なことを考えてしまうが、結論はいつも、いじめっ子よりいじめられっ子でよかったと思う。
なぜなら、辛さやさみしさ、人の弱さが分かったから。
小学生の私は、とても静かな子で、家や公園で独り遊びをしたり、独りでいることが大して苦ではなかった。
それはたぶん友達と遊ぶことがなかったので、友達の意味を知らなかったのだと思う。
そんな私が明るい小学生生活を送るわけがなく、だんだんといじめられっ子になっていく。
暗い女の子が、眼鏡をかけているというのもいじめの要素になっていたのかも。
今考えても、いじめやすい対象だったと思う。
3~5年生の頃には、全員シカトとか、物を隠されたり、上履きが便器の中で見つかったり、そんなことは日常だった。
ただ、大人になった自分が「私ってスゴイ!」と感心したことは、このようなことに動揺しなかったこと。ただただ耐えていたのかな。
いちいち泣いたり、親に報告していた記憶もない。
当然学校では問題になっていたし、母親も私のためにママ友を作ってなんとか娘のいじめをなくそうとしてくれていたけれど、子どもの世界に親が入ってきても何の解決策にもならないことは感じていた。
しかも当の本人は、社会性のスキルを学んできていないので、友達を作る気もなく
「またか、くだらない」と、あきれていた。
嫌なら関わらずにほっといてくれればいいのに、人は本当にくだらないことをする。
私の人格形成の根本はこの小学生生活で作られたと思っている。
だから私は人を信用しない。
そんな私が変わりはじめたのは、中学2年での転校である。中学は自宅から徒歩5分。
今思うと笑っちゃうくらい近すぎる。
生まれて初めて、カバンを置いて友達と遊ぶことを覚えた。
心が解放された。大げさかもしれないけど、学校が近いってこんなに楽しいことなんだと感じた。
そこでいろいろなことを一気に学んだ。一気に吸収もした。
友達もできた。告白したり、告白されたり、けんかしたり、卒業式には、大好きな人から第二ボタンももらえた笑
人と触れ合うことで、人が、私の感受性を豊かにしてくれ、視野を広げてくれた。
高校1年の時に、小学校の同窓会があった。行ってみようと思った。
よく行く勇気があったよなぁ。
そこには、いじめっ子の張本人たちが来ていた。
彼らは、最初私を見ても誰だか気が付かなかった。名乗ったときはとても驚いていた。
そこそこ盛り上がり、帰りぎわに、
「○○ー!今度遊ぼうー」
「・・・。」
人ってこういうもんだと思った。でも、これで何かが終わったとも思った。
今の私にはたくさんの顔がある。
それぞれの自分で、それぞれの友人がたくさんできた。
どの友人も大切な人たちである。
でも、今でもある一線から先の心を開くことは私には簡単ではない。
けれど、これからも人に出会い、人と関わり、支え合い、向上し合う生き方を続けて行きたい。
それは、私はやっぱり人が好きだから
The encounter... It can be the last time in my life.
前のとかぶっていたので、曲変えました笑
この3人が一緒っていうのも贅沢だけど
歌詞もいい~
all for one and all for love...