2度目の転機 自分らしさ
父の影響を大きく受けて育った私は、どうしても海外での生活を体験したかった。父は仕事の関係でドイツにおり、私が3歳のときまで住んでいた。私をドイツで産んでくれていたら、迷わずドイツ国籍を選んでいたのに。
どうしても外国に行きたくて内定を取り消し、ロンドン留学を決意した。
最初の1,2週間は、学校の日本人たちと一緒につるんでいたが、なんでここまで来てと思い直し、日本人以外の友人を作って、日本人から離れることにした。
学校があったチェルシー地区のスローンスクエア駅は立地が大変よい。イタリア人、スペイン人、クロアチア人と私がだいたいいつものメンバーで、流行りのレストランでランチしたり、そのまま夕方までハイドパークでピクニックしたりゴロゴロしたり、美術館や観光地へ行ったり。そして、夕方になったらパブに行く。週末には、クラブに行って深夜バスで帰る。どれだけ語っても遊んでも足りなかった。
ある日のパブで、連れの男の子が「さっきからいろんな人に見られてる気がするんだよね」「え?なんでだろ?」
みんなでまわりのお客さんを見て一斉に「あーーー!今日ここのパブあの日だよー!」
ということは逆もあるのかー。もちろんありました。行きました。
私がパブに行こう!っていうときは、だいたいPlay Poolを楽しみたいとき。だからってうまくないけど。
そういえば、あれだけ通ったパブだけど、アルコールが飲めない私は、ギネスの黒ビールって何が美味しいの?なんで黒いの? 結局今も不思議なまま。
一度友人が飲んでいたブラッディマリーを味見させてもらって、倒れそうになった記憶がある。ウォッカというよりトマトジュースとスパイスにやられた。
こんな生活の中でいろんな国の人に出会い、いろんな文化や考え方に出会った。そして、見知らぬ土地でいろんな人に助けてもらった。若干二十歳の私にはすべてが衝撃的であった。自分がまだ未熟であったことは当然だが、世界にはこんなに魅力的な人たちがいるんだ。
日本人って全然素敵じゃない、自分が日本人であることに誇りを感じられないと思った。
そして、自分探しの旅が始まる。
自分は自分らしくていい。まず、それを教えてくれた。
着る服も、髪型も、話し方も、振舞い方も、好きな物も、日本にいるときみたいに、他人に合わせることも、周りを気にする必要もない。この時から、モノトーン以外の色を着なくなった。
自分らしさを大事にしていこう。
これが私の第二の転機。
ビザを延長しまくり、日本からそろそろ帰って来いと言われた。
今でこそ、日本も国際社会だの、グローバルだの言われるようになり、やっと個性派の私も生きやすくなった。
しかし、当時の日本社会の風潮は、まだ個性に寛容ではなかったから、ちょっと周囲と違うことをすれば、白い目で見られまくり、出る杭は打たれまくり。
帰国後社会人1年目は、えばりくさる上司やお局に泣き、上司に言われた通りこなしていればいい受け身ばかりの職場が嫌で、毎日苦痛だった。
受け身の何が楽しいのか。これじゃ私じゃなくてもいい。
自分らしく仕事がしたい!自分の可能性を確かめたい!挑戦したい!
そうだ!少しの杭しか出さないから打たれてしまうのだ!なら出過ぎてしまえー!
出しまくった!ついに勝手に判断して、仕事の質を高めるためにやった方がいいと思うことをやり始めた。そして、ある日同僚が私の目を見てうなずいて近づいて言った。
「それ俺がやるよ」「いやーやめたほうがいいよ、睨まれるよ」「変えたいんだろ?俺たちの代で変えていこう」それからは、同じ悩みを抱えていた同期たちも徐々に賛同してくれて同期が団結した。
それから1年もしないうちに私は他の課に異動になる。自分もみんなも上司も驚いた。異動先の課は、みなさん語学が堪能だけど、私が大の苦手とする女性だけの職場だった。簡単に孤立した。孤立できたというほうがあってるかな。ここでも好き勝手に業務を改善させてもらった。主に外国人対応が多かったので仕事はとても楽しかった。
そして、1年後私はまた他の課に異動になる。なんで?なんで?今度の異動先はいわゆる部の中心の職場だったので、まだ入社して3年目の私がこの課に異動になるのはとても不思議だった。部長に聞いてみた。「私にも分からないんだよ。なんで君が異動なのか。ま、上が決めたことだから頑張りなさい」 上って誰?
異動して数日後、この事業所の一番偉い人が来た。業務を依頼しに来るぐらいで、私のような下っ端ではあいさつくらいしか交わさない。
そんな人が突然私の目の前にやって来て「○○さん、新しい職場はどう?頑張ってる?」と、にこにこしながら聞いてきた。私は、びっくりしてすぐに返事ができなかった。
この人か!私を異動させてきた人は!
私もうなずきながら、「大変良い経験をしております。ありがとうございます。」
その人もうなずきながら「それはよかった、では頑張って」
それを見ていた先輩方とくにお局が、「あなた、○○さんとお知り合いなの?ご親戚かなにか?」と騒いだ。 だったら何? 発想がくだらないから。
「とんでもないですぅ!さっき、初めてあんな風に話しかけられましたぁ~」って言っといた。
その偉い人は私を見かけると、よく話しかけてくれるようになった。私を異動させてくれた理由も聞いた。とても厳しい人で、よく怒られるようにもなった。それは大変ありがたいことであり、いまでもこの業界でやっていけるのは、この人のお陰であるのは間違いない。
新人で悩んでいたころ、父に言われた。この世の中、おまえが思うように、善か悪か、白か黒かはっきり分けることができたら楽だよ。でも大人の世界にはグレーの部分がたくさんある。それを理解する必要はないけれど、慣れたほうがおまえが楽になると。
グレーの部分がないとうまく生きていけないのは、わかる。でも、私はそのような生き方はできない。自分を信じて正しいと思うことを続けていけば、どこかでそれを見てくれている人がいる。そしてそれはいつか自分に返ってくる。そして私は独りじゃない。これからもそうやって生きていく。
That's my life.
ロンドンのクラブでよく流れていたマイケルジャクソン
彼の曲はロンドンを思い出させます。今夜はこの曲を共有させてください。
I am here with you Though we're far apart You're always in my heart
Michael Jackson - You Are Not Alone Lyrics